タイトルはあとで考えます

田渕ガー子というクソザコおんがくやさんのブログになります

5年後の世界

想像してたかい 5年後の世界

過去から今から どちらでもいいさ

空想してたかい 5年後の世界

愛とか夢とか たかをくくればなんて ダイナメーション

<特撮/5年後の世界> 

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Amazon.co.jp: 特撮 : 5年後の世界 - ミュージック

 

今からちょうど5年前に発売された、大槻ケンヂ率いるバンド「特撮」のアルバム「5年後の世界」表題曲の一節である。

5年前の日本といえばやっぱり震災ということになるかと思うんだけれど、直接的な被災者でなかったぼくでさえ、5年後の日本がどうなっているかなんて想像できなかったなあ、と。

ぼくは地元が岩手県なのもあって被災地と呼ばれる地域には震災後に何度か行っているんだけど、そういう日本の多くの人達が年に1回程度思い出してみるくらいの場所を除いては、あれから5年後の日本が存外平和であることに少し驚く。

 

ぼくなんかはわりと長期的計画性を持ちあわせていないことを自覚しているし、なんなら平均よりだいぶ強めに夢見がちな方だと思うので、5年後どころか来月自分がどうなってんのかもちょっと想像できないところはあるんですけども。

それにしたって約1年前に記事を書きましたが、藤田恵名さんの編曲やらライブサポートやらを未だにやらせて頂けてるとは思ってなかったというのが正直なところではある。

 

そんな藤田恵名さん、7月2日に自身5度目となるバースデーワンマンライブを控えており、ぼくもサポートギターとして参加させて頂くこととなった。思えばこのバースデーワンマンライブも5年前から続けてきたイベントだけども、未だに横でギターを弾かせて頂けるとは良くも悪くも意外ではある。

去年はガールズバンド構成だったためぼくがギタリストとして出演することはなかったが、今年は甲子園に帰ってきた名門校の正捕手のような面持ちでプレイしたい所存であります(2年ぶり4回目)。

そこで、前回の記事から今回のワンマンライブまでに藤田恵名に何があったかというのを裏方目線で記すことで、非表層的な部分のストーリが見えてくるんじゃないかなあ、と思いキーボードという名の筆を取った次第であります。

 

(今さらですが、このブログは「シンガーソングラドル」こと藤田恵名のPRのために運用しておりますぞ)

 

 

田渕の諸事情

前回、つまり1年前の2015年7月に新事務所への所属が決まった際の記事において、事務所に所属するということは「自由」を失い「機会」を得ることだと表現させて頂いた。

これから先、藤田は様々な機会を得て、時には深夜のランキング番組であるとか、時にはタモリの横であるとか、そういった一般的知名度を伴った存在として画面の向こうに映るんだろうかと考えていた。

一方ぼくはそんな藤田くんをがんばれよ、と横目で見送りながらプロ(プロフェッショナル)のサラリーマン(サラリーマン)として昔の生活に戻ろうとしていた。

 

youtubeを見ながら鼻でもほじっていた時だろうか、藤田くんのマネージャーから連絡があった。

藤田恵名の再メジャーデビューにむけて、某有名バンド等の制作をしているプロダクションと組むことになった。そこで田渕さんもアレンジャーとして制作チームに入って欲しい、という内容だった。

そのプロダクションの社長曰く「作品への愛を感じる」ということだった。そういうことならと、ぼくも二つ返事でOKさせて頂いた。

そういうわけで、1年前にグッバイ藤田恵名的な記事を書かせて頂いたその次の月にはもう制作として復帰していたのでありました。皆様が該当の記事を読まれました際に流した涙につきましてはノークレームノーリターンでお願いいたします。

 

藤田恵名個人としては、制作チームが動き出したことがトリガーとなり、とにかく曲を書いた。

制作陣の要望もあり、普遍的な「いい歌」という呪縛を振り払うように尖った歌詞を書いた。この次期にギタースキルについてもある程度の進化を見せ、従来のメロディ先行型からコード先行型の曲作りが出来るようになり表現の幅が広がったように思う。

明らかに今までと違う藤田恵名像が見え始め、媚びることのない良い作品が出来るだろうという予感はあった。

ないものはそれを披露する「機会」だった。事務所の方針でライブ本数は激減し、かといって今までのようにブッキングを受ける「自由」はもうなかった。

 

 

病み藤田

この時期の藤田恵名は見ていられないレベルで明らかに精神に不調をきたしていた。

それまでの藤田はライブの収益で口を糊していたが、レコード会社への持ち込み用音源の制作が急務とされ当面のライブ予定は白紙。生活もままならない状態であった。

横から見ている分には、生活のためにライブがしたいと訴える藤田と、大きい仕事がなかなか取れず焦燥する事務所のチキンレースのようだった。藤田はぼくとの打ち合わせの度に弱音を吐き、このころ一度だけ引退を相談された。それくらい疲弊していた。

誰が悪いわけでもないが、いよいよ事務所との折り合いがつかなくなり、契約解消が視野となった。

 

年末のある日、藤田は事務所からの脱退を決めた。英断だった。

きっと藤田はこれから先も口にすることはないだろうから此処だけの話になると思うが、藤田は某社からの再メジャーデビューの誘いを蹴って、自分のやりたい事をすると決めた。

MISIA絢香のようになりたくて活動してきたという藤田にとって、これは相当の覚悟だったはずだが、この決断が今のふっきれた格好いい藤田恵名を作っているように思う。

 

年が明けフリーでの活動を再開したあたりから、藤田は自分の中のネガティブ要素を隠さなくなった。清廉潔白なタレント像のようなものに嫌気がさしたとも取れるが、とにかく背伸びをしなくなったように思う。

あるライブのMCでは自身がADHDであることを初めて公にした。

あるライブのMCではバンドメンバーのギャラをスロットで稼いだと口にした。

あるライブのMCではツイッターのフォロワーの殆どはエロ目的だと思うと語った。

そしてその言葉達と音と振る舞いが絡み合い、とても脆弱で芯の通った緊張感のあるライブをするようになった。

自身で築いてきたパブリックイメージを裏切るようなスリルを伴った、ステージ上で一番身近なぼくですらヒヤっとするようなワクワクするような、ぶっ壊れた表現力がついてきたように思う。

 

 

EVEN IDOL SONG

藤田恵名は「EVIL IDOL SONG」という映画の主演と主題歌を担当することとなり、今年の4月から撮影が始まった。

撮影の前日くらいにあったライブでは前述のぶっ壊れた藤田恵名の片鱗が見えていて、ファンの方々にも大変好評だった。その良いテンション感で撮影に挑めたことは大きかった。

演技経験が全くなかった藤田だが、撮影期間でメキメキと演技もしくは表現する力が伸びているのが目に見えてわかった。今まで自分が見てきた藤田恵名はもうそこにはおらず、表現者としてのステージがあがる瞬間を何度も見ることになった。

映画は未公開なので内容等には触れないが、このとき作った主題歌の「EVIL IDOL SONG」という曲は主人公、または主人公を演じる藤田恵名の清々しい心情が描かれている。

 

藤田は自分のカテゴリはもうどうでもよいと言った。シンガーソングライターだけではやっていけなかったグラビアアイドルです!と自嘲することもある。

MISIA絢香のようになりたい、紅白に出たいと言って憚らなかった5年前、ぼくは藤田恵名と出会った。そして今の藤田恵名はそのころ想像した5年後の藤田恵名では絶対にない。想像していた10倍はヨゴレかもしれない。

だけど5年間側で見てきたからわかることもあって、いま藤田恵名はぼくの考えもしなかった方向に萌芽しつつあると思っている。その着地点がどこなのかはわからないが、ワクワクする感覚がすごくある。

そして藤田恵名が得体の知れない何かになりかけていたとしても、それでも藤田恵名の歌はエンターテインメントであってアイドルの歌なんだなと思う。ライブでステージ上から見えるお客さんの顔がいつでもそれを教えてくれる。

 

 

そういうわけで

そんなたのしいたのしい藤田恵名ちゃんのワンマンライブが来る7月2日、渋谷WWWにて行われますので是非みなさんお越しいただければなーと思う。

自分の勘は特にアテにはならないけれど、藤田恵名の次の5年に向かって何かが始まるライブになるんじゃねーかなあという予感がしています。わかんない。死人がでるかもしれないですし、それはちょっと何も断言出来ないですけどね。

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ぼくも気まぐれでこの記事を書いてるように見せかけて実は何かの伏線だったりするかもしれませんね。

今後とも藤田恵名を応援よろしくお願いいたします。