ジグザグギャラクシー
はてなで書くようなことでもないが、ブログ作るためにナントカIDみたいなものを新しく取るのも面倒なので、開き直って意識高いブロガーが跳梁跋扈するはてなにひとまず腰を据えてみようと思う。
表題の藤田恵名4thワンマンライブ「ジグザグギャラクシー」が無事終わりました。
ご来場の皆様、メンバースタッフその他、本当ありがとうございました。おつかれさま。
アンコール最期のライブドライブを演奏する前、藤田恵名は「ああ、終わりたくない」と漏らし、会場は小さな笑いに包まれた。
僕は録音ブースにいたのだけど、その言葉を聞いて「ああ、青春が終わるんだな」と思って涙を堪えきれなかった。もういいおっさんだけどね。
これはそんなおっさんの青春のお話。
回想 はじまり
藤田恵名とは3年半ほど前に出会い、それ以来編曲をメインに携わらせて頂いた。
彼女が路上ライブ用のアンプから出していたMIDI丸出しのカラオケ音源を聴いて、純粋に勿体ないと思った。よく言われることだけど、地声や人柄と大きく乖離した歌声に、とても驚いた。
当時の僕は休日やアフター5にこれと言ってすることもないうんこ製造機だったので、久しぶりに音源を世の中(その当時は本当に小さい世界だったけれど)に出してみたいという思いもあって、藤田恵名1stアルバムを制作することになった。
それは会社勤めの自分には想像以上にしんどい作業で、毎日5時に寝て8時に起きるような生活だったが、しかしやりがいはあった。
やりがいという言い方だとブラック企業感が醸しだされるのであれだが、まあ本当に楽しい苦痛だった。
ボロ雑巾みたいに疲弊している自分を見て、藤田恵名が僕の体調等を非常に心配するようになってきたため、ある日口約束をした。
僕には滑走路を作ることしかできないけれども、そこからいつか離陸して自由に空を飛べるようになったら武道館なりドームなりの関係者席に呼んでくれ、そしたら今の生活も報われる、というようなことを言った。
藤田はもちろんですと応えてくれた。泣いていたように記憶している。
ボロ雑巾なりの品質ではあったかと思うが、2012年1月に1stアルバム「いい塩梅」は無事リリースされた。
そしてその半年後、2012年7月に2ndアルバムのレコ初ということで、藤田恵名1stワンマンライブのギターとしてステージに上がらせて頂いた。
それがちょうど3年前ということになるが、それ以来ずっと固定のメンバーでライブをしてきた。それはおっさんの青春のはじまりだったのだと思う。
回想 パートナーとして
前の所属事務所が決まったのは2012年の末だったと思うが、そこは音楽関係のノウハウが全くない事務所だった。
音楽活動には一切関知もしないし支援もしないという、よく言えば「自由」な状況だったため、編曲や物販スタッフ、最終的にはマネージャーとして携わった。
最終的にこの事務所は色々あって解散してしまうんだけれど、この事務所に入らなかったら藤田恵名はグラビアという武器を手にしてはいなかっただろうし、結果的には良かったのだろうと思う。というか思わないとやってられないのだが。
すべて自分たちの手で作った。曲を作れば見解の相違から衝突し、グッズを作れば予算に悩まされ、そうやって戦いながら商品を作ってきた。時にはお互いを敵視していたのかもしれない。
商品を手にしたお客さんからのレスポンスと、たまに入る小銭が自分たちの救いだったように思うし、事実としてそれがなければ続けることは出来なかった。
ライブに出ても動員は頭打ちのように思えた。そういったもどかしさと閉塞感が常につきまとう状況で、彼女は恥じることなくその葛藤を歌にした。
考えてみるとお客さんに良い評価を頂ける曲は、この葛藤を歌っているものが多い気がする。そしてそういう曲は作っている最中に既にその予感があったりするので、やはり不思議なものだとは思う。
グラビアタレントとしての知名度があがって、思わぬ副産物が生まれた。
それはあくまで副産物であって、それまでの音楽活動を評価されての結果ではなかったが、ともかく藤田恵名は飛行船に乗ることになった。
そして飛行船は用意された滑走路を走ることなく、その場で浮上してそのままどこかへ消えて行った。
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回想 離陸まで
飛行船が失墜したことの絶望感が我々を追い詰めるようになって、色々なことが上手く回らなくなってきた。
事務所が消滅しフリーになったことで、出演15分チケット3000円というような地下イベントのオファーが増えた。自分も会社勤めをしながら各所との調整をしなくてはならず、毎日手一杯である。
また、グラビアの活動の方も様々な要因で負荷が高くなり、先々の見通しを立てるのも難しい状況だった。
年初くらいに今年のワンマンライブについて調整を始めたのだが、どうしてもメンバーの都合がつかないということが分かり、いっそのことメンバーを全員女性とし、この閉塞感の打開を計ろうと話を進めた。
そのメンバーでの初期リハーサルは高校の文化祭かと思うような酷いものだった。
それぞれ忙しい身であるから、本番に近づくにつれビルドアップされるものだとは解っていても、しかし閉塞感に拍車をかけるようなリハだった。
藤田恵名は弱音を隠さず吐くようになり、それを諌めれば今度はこちらに当たるというような状況だった。
自分たちにも何が正解なのか分からない。一体これは何のための活動なのか。
そんな折、信頼できる人からの紹介で事務所が決まりそうだ、という報告を受けた。
音楽関係に強い事務所で、これこれこういうマネジメントの計画を立ててくれている、という。
僕は飛行船の件もあったので、話半分で聞いておこう、いい話がすべて実現するとは限らないと思っておこう、と釘をさした。
しかし日が経つにつれ、事務所は具体的に様々な話をとりつけて来てくれた。それは今の手札の中では最も信頼できる選択肢だと感じた。
当然僕に決定権があるわけではないが、ここに決めてしまっていいと思うと話した。そして2015年のワンマンライブ以後、藤田恵名は株式会社ハックルベリーに所属することとなった。
ジグザグギャラクシー
事務所に入るということは、基本的には「自由」を失って「機会」を得ることだったりする。今後のライブのオファーも曲の制作もバンドメンバーも、基本的に藤田恵名は口を出せない。
つまり事務所所属は僕と藤田の二人三脚が終わることを意味する、ということをお互い理解している。
藤田には今まで苦を共にしてきた僕に対する負い目があったようで、所属することについて躊躇しているように思えた。
当然ながら、編曲も知名度のある作家についてもらって、バンドメンバーも良いミュージシャンについてもらって、そうしてメジャーの品質で戦って欲しいと考えている。
そうしたら藤田恵名は売れると思う。
寂しいという気持ちは大いにある。けれどいつまでも滑走路を走っているだけならいずれその先の海に落ちてしまう。
だからちゃんと操縦してくれる人がついて、飛んでくれた方がよほど嬉しい。そして今度は僕を引っ張りあげてくれ。
というような話をした。3年前に張った伏線が回収された。
次に作る曲が、藤田恵名のアレンジャーとして最後の仕事になる。だからアレンジ先行で曲のコンセプトを決めさせてくれ、とお願いした。そして「ジグザグギャラクシー」という曲を作らせて頂いた。
1stワンマンが終わった頃に「藤田恵名がめちゃくちゃ売れても毎年のバースデーワンマンはこのメンバーでしたいねえ」と話したことを僕は覚えていて、まあ歌詞の内容がそういう感じにも解釈できると思う。
バックのメンバーが彦星ということになりますね。
とは言え今年のワンマンライブはガールズバンドということで、「毎年このメンバーで」は早速叶わぬこととなったんですが、それはまあいい。
件のガールズバンドにおいてバンマスとして関わって行く中で、厳しいと思えるような言葉や課題もあったなとは思いながら、ある日のリハで劇的にバンドが良くなった。
それは個人の弛まぬ努力の成果だったのだけど、そこから急激に結束が強まったように思う。
ガー子さんが先生の学校みたいですねと誰かが言って、確かにそうだな、女子校みたいだなと思った。
と同時に、ワンマンライブでこのバンドも終わるのかという寂しさを感じた。
結果的に今年の藤田恵名ワンマンライブをステージの外から見られたことは良かったと思う。
例年であればタイムテーブルや同期音源の作成、録音もギターも演出もサプライズも全部自分が進めないといけないので全く余裕がないのだが、今年は本当に良い精神状態で良いステージを見られた。
アンコール最期のライブドライブを演奏する前、藤田恵名は「ああ、終わりたくない」と漏らし、会場は小さな笑いに包まれた。
僕は録音ブースにいたのだけど、その言葉を聞いて「ああ、青春が終わるんだな」と思って涙を堪えきれなかった。
最後の集合写真の撮影が終わって、ステージ袖で藤田恵名と握手をしながら二人で泣いた。メンバーはきょとんとしていたが、これは僕と藤田恵名にしか解らない涙だったと思う。解られても困る。
そうしておっさんの青春は2015年7月4日、最高のステージと共に終わった。
同時に田渕学級の卒業式は幕を閉じたのであった。
これから
藤田恵名さん、3年間本当にありがとうございました。
僕みたいな30とっくにすぎてるおっさんが毎日楽しくて苦しい生活を送れたのは、今後の自分にとっての財産となりました。
すげー迷惑もかけたし、迷惑かけられたけど、最後は笑って終わることができてよかったよな。
君が売れることだけを願って僕は普通のサラリーマンに戻ります。
今までおつかれさま。ありがとう。
ドルチェの方は引き続きバンバンライブやって音源作ってホクホクしたいと思うので、今後とも何卒よろしくお願い致します。